ミューザ川崎シンフォニーホールの歴史
2004賑わいの街へ、ホール誕生
JR川崎駅前という最高の立地に建つ音楽専用ホール、ミューザ川崎シンフォニーホールは、2004年7月1日「音楽のまち・かわさき」のシンボルとして誕生しました。
川崎市は、これまで工業都市のイメージが強くある一方で、音楽に様々なつながりがあるまちでもありました。市内には音楽大学があり、古い歴史を持つ市民オーケストラや市民合唱団が活発に活動するなど、音楽資源の豊かな市でもありながら、音楽専用のホールがありませんでした。そこで、1993年、川崎市の新しいタウンイメージの発信地として、川崎駅西口に業務・商業・文化施設などが融合した複合空間を整備する構想が発表され、音楽ホールの建設が決定。市民が愛着と誇りを持ち、市のシンボルとなるような、そして市外からも多くの人が訪れる最上のホールにしたい——そんな高い志が結実して、クラシック中心の約2,000席を持つ世界最高クラスのホールが完成しました。
ホールを含むビル全体の名称は、市民からの公募により「ミューザ」に決定。「音楽のまち・かわさき」のまちづくりが、市制80周年の2004年にスタートしたのです。
1993.8 | 川崎市が川崎駅西口の文化ホール設備を含む再開発事業を位置付ける |
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2001.4 | 「川崎駅西口文化ホール(仮称)」着工 |
2002.11 | 川崎市と東京交響楽団がフランチャイズ提携を結ぶ |
2004.4.18 | 「音楽のまち・かわさき」推進協議会が発足 |
2004.7.1 | 「ミューザ川崎シンフォニーホール」開館 |
パイプオルガンへの誇り
世界に通じるホールとして建設されたミューザの誇りは、ホール正面に構える日本最大級のパイプオルガンにも現れています。スイスの名門オルガンビルダー・クーン社よりオルガン技師が来日し、パイプオルガンの組み立て工事を行いました。5,248本のパイプが、一本一本組み込まれていく様子は必見です。
音楽のまちへ、ミューザ開館
2004年7月1日、ミューザ川崎シンフォニーホールは開館の日を迎えました。こけら落としでは、市制80周年記念式典と同時に記念コンサートを開催。東京交響楽団と同楽団音楽監督(当時)秋山和慶指揮によるマーラー「千人の交響曲」が高らかに響きわたりました。チケットは即日完売となり、3日にも追加公演を開催。輝かしい第一歩を踏み出したのです。
2005.7フェスタサマーミューザ KAWASAKI
スタート
開館1周年を迎え、ミューザならではの新たな演奏会の企画を模索するなか、川崎市の全面的支援も得て、2005年より「フェスタサマーミューザ KAWASAKI」が毎夏開催されることになりました。
その最大の魅力は、首都圏で活躍するオーケストラが一堂に揃うこと。クラシック音楽の「新しい聴き方・楽しみ方」を提案する様々な試みが好評を博し、国内ではこれまでになかった規模の「オーケストラの祭典」として、ミューザの代名詞ともなる一大イベントとなっています。
フェスタサマーミューザの開幕を華やかに演出するファンファーレ
ホール開館5周年およびフェスタサマーミューザ5回目を記念し、三澤慶氏に作曲を委嘱。2009年7月26日に東京交響楽団のブラス・セクションによって初演されました。毎年、フェスタサマーミューザのオープニング・コンサートで演奏されています。
2007こどもフェスタ スタート
子どもたちが気軽に音楽を体験できるワークショップや楽器体験イベントなど、盛りだくさんの内容が魅力の「こどもフェスタ」。 ミューザに来る“はじめの一歩”として、川崎の子どもたちに愛されています。
2011.4-2013.3震災を経て復旧への道
開館8年目を控えた2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。ミューザでは、幸い負傷者を出すことはなかったものの、天井仕上げ材が客席に落下。原因調査と復旧工事のため、ホールは2年間の休館を余儀なくされました。
復旧の目途が立たない状況下でも「ハードがなくても、わたしたちにはソフトがある!音楽のまち・かわさきの灯をともし続けよう」と代替公演を決断。震災からわずか1か月あまりで会場を代えて初めての代替公演を実現しました。
様々な苦境を乗り越え実現できたのも、公演を聴きに来てくださるお客様の存在があってこそ。市内をまわり、公演を続けたことで「音楽のまち」を広め、ミューザと街との絆を一層深める2年間となりました。
2011.3.11 | 東日本大震災により天井仕上げ材が落下し、ホールを休館 |
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2011.4.19 | 震災後、約1か月で代替公演を開催(会場:ラゾーナ川崎プラザソル) |
2011.7.27 | 市内の2つの音楽大学や公共施設のホールで「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2011」開催 |
2011.10 | ミューザ川崎シンフォニーホール 復旧工事に着手 |
2012.12.25 | 復旧工事完了(引き渡し) |
2013.3.25 | 避難訓練コンサート開催 |
2013.4.1 | ミューザ川崎シンフォニーホール リニューアルオープン |
2013いよいよ、ミューザ復活
2013年4月1日、ついにミューザは復活を遂げました。この日はリニューアルオープン式典を開催。ホールアドバイザー松居直美によるバッハ「トッカータとフーガ」の荘厳な響きのもとに開幕しました。
同月7日は、「MUZAリニューアルオープンコンサート」を開催。「リニューアルオープンにはこの曲しかない」と(当時)東京交響楽団音楽監督ユベール・スダーンが選んだブルックナー「交響曲第9番」と「テ・デウム」を演奏。世界のマエストロが絶賛するミューザの響きが蘇りました。
2014開館10周年を迎え、感動を再び
2014年7月1日に開館10周年を迎えたミューザ川崎シンフォニーホールは、12月7日、開館10周年記念コンサートを開催。曲目は、10年前のこけら落としコンサート、そして5周年記念公演と同じ、マーラー「千人の交響曲」。東京交響楽団の新音楽監督に就任したジョナサン・ノットによる素晴らしい演奏に盛大な拍手が贈られ、会場は感動の渦に包まれました。
※開館10周年記念誌は川崎市立図書館にてお読みいただけます。
2014年12月7日 ミューザ川崎シンフォニーホール開館10周年記念コンサート「千人の交響曲」
2016地域創造大賞(総務大臣賞)を受賞
開館以来「音楽のまち・かわさき」のシンボルとして地域の魅力を向上させる良質な音楽を提供し、さらに地域交流・人材育成・音楽教育などを目的とした多彩な主催事業を開催、また、川崎市フランチャイズオーケストラ東京交響楽団との協働による多様なプログラムを実施するなど、まちづくりの中核を担う多岐にわたる活動が評価されました。
2019開館15周年記念公演「グレの歌」
開館15周年記念事業として、ジョナサン・ノット指揮、東京交響楽団によるシェーンベルク作曲「グレの歌」公演を、10月5日・6日に開催しました。オーケストラ、独唱、コーラスを合わせて総勢約400名という大編成での演奏がホールに鳴り響きました。
2020新型コロナウイルス感染症拡大の中で
2020年3月、新型コロナウイルス感染症の拡大により、多くのコンサートが中止となる中、ミューザ川崎シンフォニーホールと東京交響楽団はいち早くインターネットによる映像配信に取り組み、無観客ライブ配信の先鞭をつけました。
同年7月、「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」をライブ映像配信と、感染症対策を講じながら有観客のハイブリッドで初開催。オープニング・コンサートでは、入国制限により来日できなかったジョナサン・ノットが収録映像による出演という前代未聞のチャレンジを行いました。
新型コロナウイルスの影響でコンサートの再開がままならない状況下で定員を600名に絞り、全17公演を完奏。コンサート再開に向けて大きな一歩を踏み出し、コロナ時代のコンサートホールの事業継続に新たなモデルを提示しました。
2021.3第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞《功労賞》受賞
コロナ禍における「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」の開催成果が評価され、ミュージック・ペンクラブ音楽賞《功労賞》を受賞しました。
2021.4ミューザから世界へ「こんにちは」そして「ありがとう」を歌に
東京オリンピック・パラリンピック2020を契機に世界から日本に来る人々を歓迎するオリジナルソング「世界中から こんにちは そして ありがとう」を制作。ミューザホールアドバイザーを務めるピアニストの小川典子の発案により、菅野由弘が作詞・作曲しました。本来は2020年夏にコンサートで初演予定でしたが、コロナ禍により中止に。2021年4月には全国から参加したリモート合唱団のみなさんによるリモート合唱の動画が完成しました。
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