フランス革命からの復興期、アリスティド・カヴァイエ=コルの生きた時代 ―オルガンビルダー横田宗隆インタビュー 3
2月19日(土)14時開演のホール・アドバイザー松居直美企画「セザール・フランク生誕200年 メモリアル・オルガンコンサート」をより楽しむためのインタビュー企画。ミューザのパイプオルガンの調律や定期的なメンテナンスをしてくださっている、オルガンビルダーの横田宗隆さんにお話を伺っています。
今回は、アリスティド・カヴァイエ=コルの人物像に迫ります。
(取材・文:ミューザ川崎シンフォニーホール)
※前回までの記事はこちら
オルガンの原点と技術革命―オルガンビルダー横田宗隆インタビュー 1
カヴァイエ=コルの楽器の特徴 ―オルガンビルダー横田宗隆インタビュー 2
1789年にフランス革命が勃発し、主要都市のオルガンはその殆どが破壊されてしまいました。革命前に教会のミサで演奏されていたオルガン音楽も衰退してゆき、オルガニストによる作曲活動も減退した時期です。
その後、ようやくパリ音楽院でオルガンクラスが開講したのが1819年のことです。このオルガン科の初代教授はブノワというオルガニストでした。彼や彼の弟子であるフランクといった人物から再びオルガン音楽の文化が生き生きと育まれていきました。
フランソワ・ブノワ(1794~1878)
アリスティド・カヴァイエ=コルは1811年に南仏モンペリエのオルガン制作家の家に生まれました。彼は子供のころより父親からオルガン製造を学んで育ったのです。そして22歳のころ、アリスティドの運命決定づける出会いがありました。旅途中のかのロッシーニに偶然その腕を見初められ、「パリに来なさい」と勧められて故郷を離れたというエピソードが残っています。
こうしてパリに上った若い彼は、まだ功績も十分に無いにも関わらずサン・ドニ大聖堂というカトリックの大きな教会のオルガンの制作入札競争に通ります。一躍評判になったのがこのサン・ドニの楽器が完成した1840年ごろのことでした。
パリのサン・ドニ大聖堂のオルガン
楽器制作家と作曲家、音楽家の関係について
先程の歴史の話に戻りますが、フランス革命期にはオルガン音楽への気概が途絶えていました。その後、19世紀になると世間ではオーケストラ音楽、交響曲のジャンルが流行しました。そこでオルガニストたちは、オルガンでも交響曲のような音楽を弾きたいと望みましたが、古典期にあったオルガンでは難しい要求だったのです。
厚みのある音が出る、音色や音量に急に変化を付けられる、多様な音色がある、ダイナミックな演奏でも風が揺れない、そうした演奏家からの要求があったからこそカヴァイエ=コルはそれまでになかった楽器を作り上げました。それがオルガニストたちから大変喜ばれたのです。
フランクだけでなく、カヴァイエ=コルの楽器とオルガニストの関係はとても多いです。例えば1846年にパリのマドレーヌ寺院にカヴァイエ=コルが作った楽器は、サン=サーンスやガブリエル・フォーレがオルガニストで演奏していました。
1859年にパリのサント・クロチルド教会に作った楽器は、フランクや彼の弟子のシャルル・トゥルヌミール、ジャン・ラングレがオルガニストを務めていました。トゥルヌミールとラングレは一般的にはあまり有名ではありませんが、オルガニストにとって近現代のレパートリーとして現在も親しまれています。
サント・クロチルド教会のオルガン
フランク「プレリュード、フーガと変奏」演奏:オリビエー・ペニン
1862年、サント・クロチルド教会での制作からたった3年後に作られた、サン・シュルピス教会の楽器は、18世紀のクリコという制作家によるオルガンを元に非常に拡大させて、100ストップを備える規模にしました。ここでは、シャルル=マリー・ヴィドールやマルセル・デュプレといったフランスオルガン史の中で重要な位置を占める彼らが代々オルガニストを務めて弾いていました。
それから1868年にパリのサント・トリニテ教会に制作した楽器では、アレクサンドル・ギルマンやオリヴィエ・メシアンといったオルガニストが素晴らしい名曲の数々を生み出しました。
しかし、彼らが後世に残したものももちろんですが、みな即興演奏が特に素晴らしかったという記録が多く、その演奏が残っていないのが今となっては非常に残念ですね。
アリスティド・カヴァイエ=コルの人物像について
彼は頭が良く新しいものが好きな発明家でもあり、時代が何を求めているかを敏感に察知していた革新的な制作家でした。
彼の興味というのは、とにかく新しいものを発明することにあったようです。万博開催が決まるとすぐにコンサート会場の楽器制作権を入札して大きな楽器を考えたり、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の楽器制作を入札したり、他にも世界中で仕事をしていました。記録ではパリ市内だけでも数年に1台のペースで大規模な楽器を制作していたようです。
一方で伝統を重んじる制作家でもあり、彼の晩年にはモーターで風を起こす送風機が巷に出回り始めていましたが、彼の楽器はすべて昔ながらのふいごで作られました。また、パイプの素材の金属を薄く削って整える作業なども、手作業でこだわりを持って作っていました。電動機械で効率よく削る方法も可能になってきた時代でしたが、手作業の方がパイプが劣化せず長持ちするということが分かっていたのかもしれません。
新しいものに敏感で流行を察知するセンスがありながら、職人としては型を守るタイプと言えるでしょう。
Di Sconosciuto – Loïc Métrope: La Manufacture d’Orgues, avenue du Maine. Aux Amateurs de livres/Klincksieck, Paris 1988, p. 63, Pubblico dominio, Collegamento
コンサート情報
2022年2月19日(土) 14:00開演
ホールアドバイザー松居直美企画
セザール・フランク生誕200年 メモリアル・オルガンコンサート
出演:梅干野安未、廣江理枝、松居直美