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ベートーヴェンと弟子チェルニー ~かげはら史帆のベートーヴェンコラムvol.7~

『ピアノ協奏曲第1番』の決定稿が書かれた1800年ごろ。
30歳のベートーヴェンは、ある少年の弟子入り志願を受け入れました。

 少年の名はカール・チェルニー、当時10歳になるかならないか。ピアニストとしてサロンを荒らし回っていたベートーヴェンの噂を聞きつけ、すっかり大ファンになってしまった少年は、父親に連れられて彼のもとを訪ねます。若者の指導にはあまり興味のないベートーヴェンでしたが、少年の才能を認めて入門を許可。レガート奏法をはじめとする最新技術を教え込みました。
 当時のベートーヴェンはすでに耳の病に悩まされていました。そんな時期に弟子を取ったのは、自らのピアニストとしての将来について思うところがあったからでしょうか。彼の予感は当たります。『ピアノ協奏曲第4番』までは自力で演奏をやり遂げましたが、『第5番「皇帝」』をウィーンで初お披露目する際には、ついに演奏を自分以外のピアニストに譲る決断をします。そのとき白羽の矢が立ったのが、20歳の青年になっていたチェルニーでした。

 残念ながらこのときの演奏会の評判はかんばしくなかったと伝えられています。しかしその後も師弟の縁は続き、チェルニーは自宅の音楽会で師のソナタを何度も披露し、またリストのような優れた弟子にベートーヴェンのピアニズムを伝授しました。ベートーヴェンのピアノ作品の創作と発表は、弟子によってひそかに支えられていたのです。

(かげはら史帆/ライター)

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かげはら史帆
東京郊外生まれ。著書に『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
https://twitter.com/kage_mushi

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