パトロンとの大ゲンカの真相は? ~かげはら史帆のベートーヴェンコラムvol.6~
2020.07.21
『ヴァイオリン協奏曲』が作曲された1806年。
35歳のベートーヴェンは、パトロンと大ゲンカをしてしまいました。
そのパトロンは、カール・フォン・リヒノフスキー候爵。長年にわたってベートーヴェンを手厚く支援してきた貴族でした。ケンカは、彼が候爵の誘いに応じて領地シレジアの城に赴いたときに起きました。気乗りがしないと言っているにもかかわらず、ピアノの演奏をしつこく求められたベートーヴェン。候爵とその客人の前でブチ切れた彼は、夜中にもかかわらず城を飛び出し、プリプリしながら近郊の町まで歩いて馬車をつかまえ、そのままウィーンまで帰ってしまいました。
ベートーヴェンがこれほど怒ったのはなぜでしょうか。もしかしたら、客人を前に見世物のようにピアノ を弾かされることへの抵抗があったからかもしれません。きらきらした技巧で聴衆を沸かせるような演奏を彼は嫌っていました。数カ月後、彼は『ヴァイオリン協奏曲』を作曲しますが、その自筆譜には「お情け(クレメンツァ)のためにクレメントへ」という皮肉っぽい献辞が書き込まれていました。クレメントは、派手なテクニックで人気を集めていたヴァイオリニストで、この協奏曲を初演したソリスト。「媚びる演奏をするやつはキライだ!!」──そんな想いが、この献辞からはひしひしと感じられます。
(かげはら史帆/ライター)
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かげはら史帆
東京郊外生まれ。著書に『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)。ほか音楽雑誌、文芸誌、ウェブメディアにエッセイ、書評などを寄稿。
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