【レポート】猛暑の夏!バロックも熱い!トン・コープマンの白熱教室
2018.08.05
取材・文:宮本 明(音楽ライター)
いよいよ夏本番を迎えた三連休初日の7月14日。振り返ってみれば日本列島を「危険な暑さ」が襲い始めたその日、ミューザ川崎シンフォニーホールでは、バロックの巨匠トン・コープマンによる公開講座「トン・コープマンのバロック音楽談義」が、こちらも熱く開催された。一昨年に実施した企画の好評を受けての二度目の開催であり、さらに前日の同ホールでのコープマンのオルガン・リサイタルのチケット購入者は入場無料という超お得なスペシャル・レクチャーとあって、ざっと400人ほどの熱心な参加者が集まった。この種の講座としては異例の盛況といってよいだろう。そもそもバロックのレクチャーを、大ホールで開催するというのがふるっている。
全体は、前半が講義、後半が若い音楽家への公開レッスンという構成。ステージ上にはチェンバロが置かれ、コープマンは、オランダ訛りなのか、少しクセの強い英語で話し、通訳を、鍵盤楽器奏者の大塚直哉が務めた。
前半の講義のお題は「通奏低音」と「レトリック(音楽修辞学)」。
まずは通奏低音の基本から。
「通奏低音奏者は、原則的に左手のバス声部が書かれた一段の楽譜と、その上に記された数字を見て演奏します。数字は和音を示しています。ときに数字が書かれていないこともあり、そのときは奏者が自分で考えながら和音をつけてゆきます」
コープマンが初めて通奏低音を弾いたのは14歳のときで、その後アムステルダム音楽院でレオンハルトに師事するが、(通奏低音に関しては、ということなのか)「レオンハルトではなくアシスタントの先生から習った」のだそう。
そしてまた、通奏低音についての多くは、ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェンの大著を始め、ヨハン・マッテゾンやフリードリヒ・エアハルト・ニート、フランチェスコ・ガスパリーニら、18世紀のドイツ、イタリアの代表的な理論書を読み漁って学んだという。実際このあとの講義中にも、先人たちからのさまざまな引用が頻繁に登場して、さすがの博学ぶりをうかがわせた。
「今日はここにチェンバロがあります。フルートやリコーダーなど、音量の小さな楽器と演奏するとき、チェンバロはすぐに『うるさい!』と言われます。オーケストラのティンパニと一緒ですね」
と、ひとしきり笑いを取りながら続けるコープマン。
「一番役に立ったのは(フリードリヒ大王のフルート教師だった)ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツの本です。『通奏低音は基本的に4声で弾きなさい』。彼もうるさいチェンバロに悩まされていたのですね(笑)」
つまり弾き過ぎないこと。ソリストのように振る舞うのではなく、「良き従者であれ」と説く。とはいえ、コープマン自身も「通奏低音うるさい!」という苦言には少なからず不満を抱き続けてきたらしい。
「通奏低音は、奏者の即興だから文句を言われるのです。たとえば、バッハ自身が伴奏パートの音符を書いた『フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタ』を弾くとき、バッハの音符がどんなにうるさくても、誰も文句を言いません(笑)。つまりは私たちも勇気を持って弾けばいいのです!」
軽やかなスピード感で疾走する演奏そのまま、ときに笑いを交えながら、快活な口調は止まらない。そしてこのあたりからは、内容も主として、実際に通奏低音を弾く人のためのヒントというべきものになった。コープマンの言葉もいよいよ熱を帯び、具体的な例を挙げながらの勉強法を伝授する。われわれ一般の音楽ファンには必ずしも理解できない部分もあったものの、音楽の「現場」に立ち会えるような感覚でうれしい。
予定の時間があっという間に過ぎ、2番目のテーマ「レトリック」についてはかなり駆け足になったが、キーワードは「聴衆とのコミュニケーション」。自分自身のレトリックで「聴衆とコミュニケートすること」が大切だと語った。
後半は、3組の受講生が登場しての公開レッスン。最初の2組はどちらもバリトンとチェンバロのデュオで、J.S.バッハの独唱カンタータ《裏切り者なる愛よ》BWV 203から第1曲と第2曲をそれぞれ、3組目はフルート・トラヴェルソ、ヴァイオリンとチェンバロで、J.S.バッハのトリオ・ソナタBWV 1038を演奏した。
「ちょっと私に弾かせてみて」と、何度も弾いてみせる。
「私のほうが正しいと言うつもりはありません。通奏低音は自由なので」という彼の言葉に従うなら、弾き手によって選ぶ音符が違う、通奏低音の面白さが全開で示される。受講生たちの演奏に比べて、コープマンの「お手本」は、ずっと音の数が少なく、シンプルで、そして雄弁だ。隣席のご夫婦は、「当たり前だけれど、やっぱり全然違う音楽になる。すごいわよね」と囁いてため息を吐いていた。まったくそのとおりで、前半のレクチャーで話題にした「うるさいチェンバロ」はまったく聴こえない。
もちろん、終始ただ控えめに弾くのがよいというわけでもないようだ。「聴衆はいつも同じ音量でばかり聴きたくありません」と、音量の変化の重要性を説いた。チェンバロは打鍵による音量のコントロールはできないから、ここで声部、音数の出番だ。両手の十指で弾ける、単音から10声まで、和音に変化をつけることで、魔法のように見事にダイナミクスの幅が広がる。
生徒たちが演奏している間もせわしなく動き回って、チェンバロの屋根の開閉角度で聴こえ方が違うことを実証してみせたり、フルートやヴァイオリンのチューニングのための基音を出すときには、「チェンバロは伸ばしているうちに音が減衰して低く聞こえるから、繰り返し連打してあげたほうがいい」といった「現場」的なアドバイスも交えたり。とにかく次から次へと、常に「何か」を思いついてやってみせる。まさにコープマンの「人と芸術」が凝縮されたようなひと時。音楽の専門家や学習者ならずとも、またぜひ見たい聞きたいと感じさせる、バロック音楽の魅力あふれる白熱教室だった。大満足。
なお、大塚の通訳は、彼自身このジャンルの第一人者であるだけに、内容を適宜補いながらの実にわかりやすい秀逸なインタープリターぶりで、聴講者の理解を大いに助けてくれたことを添えておきたい。