文:後藤 菜穂子(音楽ライター)
「ばらの騎士」を初めて観たのは、1970年代初めにロンドンのロイヤル・オペラだったと思います──1960年代の学生時代に部分的に聴いたことはありましたが。その後、何度も舞台を観てきました。歌手仲間たちの中には元帥夫人、オクタヴィアン、オックス男爵などの役を得意としていた人が何人もいました。
特に思い出に残っているのは、やはりカルロス・クライバーが指揮したオットー・シェンクのプロダクションですね。長年上演されたシェンクの舞台は、クルト・モル、ルチア・ポップら、いろいろな名歌手で観ました。
ファーニナルの役のオファーをいただいたのは、私の歌手人生の後半のことでした。それまではこの役に対してあまり強い印象を持っていなかったのですが、おかげでロンドン、ニューヨーク、モスクワで、この鼻持ちならない成り上がり者を演じることができました。
でも実は、私にとってこの作品に関わることのいちばんの喜びは、オペラの最後に舞台袖に立ち、三者三様の声の女性たちが崇高な三重唱を歌うのを聴くことでした。私は毎回、袖で聴いていました。比類のない美しさでした。
ある日、終演の1時間後に劇場を出ると、その三人が私の前を歩いていて、ランチとショッピングへ向かっていきました。すっかり日常に戻っていて、すれ違う人々、彼らがほんの1時間前に劇場の暗がりのなかでいかなる魔法を作り出していたか、誰一人として気づいていませんでした。
それこそが私にとって劇場、特にオペラのもつ魔法だといえます。
「オペラには端役はない」とよく言われます。すなわち、一人一人がストーリーというジグソーパズルを完成させるためのピースなのです。
ファーニナルはとても興味深い役だと思いました。彼は、周囲の社交界の人々にくらべ、急に富裕層の仲間入りをしたため、貴族たちは彼におべっかを使いつつ心のなかでは軽蔑しています。もちろん彼は娘のゾフィーを愛していますが、彼女を良家に嫁がせたいという野心ゆえに、人生において何が本当に重要なのかを見失ってしまうのです。
歌う側の視点から言うと、第二幕の初めの登場のシーンがファーニナルの見せ場ですね。新しい優雅なライフスタイルを得て、将来に明るい希望を持っている様子がよくでています。
こうしたフレーズをなるべく大きな声で、満足げに、そして美しく歌うのは楽しいことでした。
まず文学的な観点からホフマンスタールの立ち位置を理解することが重要です。
シュテファン・ツヴァイクは『昨日の世界 Die Welt von Gestern』のなかで、学生時代に仲間たちとホフマンスタールについて語り合ったその文章を初めて読んだとき、ホフマンスタールについての自分の考えを軌道修正したことを覚えています。
つまり、彼らにとってホフマンスタールは世界文学の誰よりも偉大な存在なのでした。その場面を味わうためだけでもツヴァイクの本書を読む価値はあります。
私がもっとも愛する役は「ナクソス島のアリアドネ」の音楽教師です。大好きな役です。彼は、教え子の作曲家が大邸宅で作品を上演できるように──芸術家たちが直面するあらゆる困難にもかかわらず──必死に手助けしようとしています。
ようやく上演がかなうと思いきや、作曲家は、自分のオペラが花火大会と喜劇役者の大道芸に組み入れられることを知って落胆します。今だったら、どこかの音楽祭でアリアドネが絶望の中で歌っているときに、同じ敷地のどこからポップ・グループの演奏が聞こえてくるといった感じでしょうか。
そうした中で、音楽教師は教え子の代わりに嘆願しつつ、一方で芸術至上主義もよいけれど、生活をするには妥協も必要だと説きます。彼は良い教師であり、自分にはなかった才能を教え子に見出したのです。
有名なオペラを演奏会形式で取り上げるのは、どんな時でも困難を伴います。「サロメ」や「エレクトラ」で経験したとおりです。
実際面では、劇場とちがってオーケストラ・ピットがなく、歌手たちはステージをオーケストラと分け合わなければならないことです。私たちが使えるのはステージの4〜5フィート[訳註:1.2〜1.5m]程度にすぎません。
「サロメ」と「エレクトラ」ではほとんど大道具がいらず、歌手たちはドラマを即興で表現することができましたが、「ばらの騎士」はそうはいきません。キャストがとても多いですし、出入りも多いのに、基本ステージの左右の2つの扉しかありません。椅子や小道具、そのほかにも舞台をなるべくそれらしく作るにはあれこれ必要です。当然、どこかで妥協をしなければなりません。
結局、何がなくてもやっていけるかを決めて、そこからベストを尽くすことが鍵です。
制限のあるなかで舞台を成功させるには、キャスト一人ひとりが、機転をきかせてくれることにかかっています。
でもかつて「ドン・ジョヴァンニ」を一冊の本と色違いの2枚の布だけで成功させることができたわけですから、なんだって可能だと思います!
正直、ホールの音響について考える余裕はないと思いますし、特に問題はないでしょう。そんな時間はないのです。短い時間で舞台を作り上げるだけです。
ミア・パーションとは過去に共演したことがありますね。カトリオーナ・モリソンは舞台を観たり聴いたりしたことがありますし、彼女の声が大好きです。彼女とは、衣裳は何がよいか、何を用意する必要があるかなどについて電話で相談しています。他の外国人キャストの方々は評判のみで、まだお会いしたことはありません。
2019年のスケジュールを確認した時に、私は妻ジーニーに、そろそろ「引退」について考える時期がきたと思う、と伝えました。その後2020年の初めにCovid-19のロックダウンが起こり、われながらぴったりのタイミングだったと思いました。でも正直いって、「引退」という言葉も概念も好きではありません。
プロとして活動を始めた当初から、仕事の合間を有意義に過ごしてきましたし、またいつか最後が来るとわかっていたので、その日のために備えて準備をしていました。世界中どこへ行くときも、スケッチブックや鉛筆や絵の具、双眼鏡、ゴルフクラブや本を持参していました。
舞台生活は終わりましたが、人生は続きます。
最近ではシェイクスピアの「リア王」の芝居でグロスター伯を演じ、すこし歌い、この夏はグラインドボーンで「メリー・ウィドウ」のツェータ男爵を演じました──これは予定外だったのですが。そして、今はデッサンしたり絵を描いたりしています。
また、船の模型を作るのも趣味のひとつです。私はネルソン提督に関心があり、過去4〜5年、彼の人生と航海の歴史を研究し、彼の初期の指揮艦の模型を作ってきました。私の曽祖父に倣い、正確な模型を作るのが好きなんです。もっとも曽祖父の模型は博物館にふさわしい品質であり、実際に私の出身地サンダーランドの博物館で何年も展示されていました。
それから庭仕事もあります──長年育ててきた2鉢の盆栽の手入れも。
このように、やることはいくらでもあります。